水口城に関する資料を展覧しています
水口城は3代将軍徳川家光が寛永11年(1634)京都上洛の際の宿館として築城されました。築城は幕府直営で行なわれ、作事奉行には、建築や作庭あるいは茶道などで著名な小堀遠州政一があたり、延べ十万人の大工を投入して工事が進められました。城は京都の二条城を小型にしたもので本丸と二の丸の二郭で構成されていました。築城当時の規模は復元模型でうかがい知ることができます。家光以後の将軍の上洛は途絶え、水口城は城番(5千石~1万石の旗本、大名)が置かれ、これが1年任期で約50年続きました。
天和2年(1682年)に、石見国より加藤明友(賤が嶽7本槍で有名な加藤嘉明の孫)が入城し、水ロ藩が成立しました。水口城はその居城となりました。明友は入城すると「二の丸」の整備に努めた結果、武家地が北に拡大したために、止むなく東海道の迂回や、寺社や集落、町屋等の移転をおこないました。
水口藩は甲賀・蒲生を中心に2万5千石を領有し、小藩ながら水口・日野など地方都市を治めました。別名「碧水城」は、湧水を利用した堀に青い水をたたえていたことから、明友が命名しました。
明治維新後、水ロ城は廃城となり、建物や、出丸と乾矢倉を除く石垣の大半が公売に付されました。旧本丸跡は県立学校の敷地となりグランドとして利用されています。
住 所
〒528-0023
甲賀市水口町本丸4−80
電 話
0748-63-5577
営業時間
10:00~17:00
定 休 日
木曜日・金曜日
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